【私の歪んだ勿体ない精神】勿体ないの真意を考える

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当ブログへのご訪問ありがとうございます。

ここ数週間の間にたくさんのものを処分しました。

それと同時に自分がしまい込んでいた

”お気に入りのモノたち”と久々に再会しました。

これをきっかけに”勿体ない”の意味を考えました。

モノは使われてこそ意味がある

モノを処分してる間

使い古した物には”ありがとうございました”という気持ちを込め、

その他の使い切れなかったモノ、使う機会もなく不要になってしまったものには

”あ〜、勿体ない事したな。ごめんなさい。”

と思いながらたくさんのモノをゴミ袋に入れました。

一方、”お気に入り”な故に

汚したくない、使い古したくないという気持ちが拭えず

使う事なく溜め込んで、しまいこんでた私の”お気に入りのモノたち”。

久々に再会しました。

お気に入りだからしまい込んでたはずなのに

”あ、こんなんも持ってたなぁ…”などと存在すら忘れてたモノもあり

ほんと、モノに失礼極まりないですよね。

使ってもらえてない上に、存在すら覚えられていない。

なんという無駄。

モノは使われてこそ意味があり、価値があるはずなのに

使われないまま捨てられていくモノ、使われる事なくしまわれっぱなしのモノ。

どちらも勿体ないです。

私が改めなければいけない歪んだ勿体ない精神 

先日タオル類の断捨離をしました。

お気に入りのタオルだけを残したのですが、

一昨日洗濯してる時に

”これ、ボロボロなったらどうすればいいんやろう…

使うの勿体ないかも。お気に入りやのに!”

などと思い始めてしまったんです。

こんな事を思ってしまった自分にガッカリです。なぜなら

私、ストックしてる新しいタオルあるんです!
そして、どれもお気に入りなんです!!

自分のお気に入りのモノがボロボロになった時のために

ちゃんと同じ”お気に入りのモノ”をストックしてるのに

(気に入った物は色違いや、全く同じ物を複数買っちゃう派なんです。)

ボロボロになったらどうしよう…などと未だに考える私。

この前タオルの断捨離した時に在庫をみて安心したはずなのに、

なぜまだ”使うの勿体ない”と思ってしまうのでしょう。

モノは使うためにあって、使うために買ったはずなんです。

この歪んだ勿体ない精神をどうにかしない限り、

私は一生”お気に入りのモノたち”を使う事なくこの世を去ってしまうと思います。

お気に入りのモノこそ使う!

”お気に入りのモノたち”をしまいこんでると書いたのに

ちょっと矛盾してるんですが

実はここ数ヶ月は”お気に入りのモノこそ使おう!”と心に決め実践してたんです。

ただ、自分がしまい込んでたモノに対してではなく

ここ数ヶ月の間で私の元にやってきたモノを対象に実践していました。

ここ数ヶ月後の間に頂いた物はほぼ全て開封し使用しています。

例えばこの、友達がプレゼントしてくれた万年筆。

とてもお高そうなので使うのが勿体なくて思わずしまい込みそうになりました。

でも、”いや、今使い始めなかったら使い始めるタイミングを逃してしまう!”と思い直し

有難く使用することにしました。

両親が送ってくれた日本食も、

いつもなら消費期限ギリギリまで大切にとっておくのですが

”美味しいうちに食べちゃおう!”と考えを改め

しまい込む事なく食べ尽くしてしまいました。

私にとっては大きな変化であり、進歩です。

今までしまい込んでいた物を使う。新たな”お気に入り”ともきっとすぐ出逢える。

”汚くなったらイヤやな”とか思うので使い始めるのを躊躇しちゃうわけですが、

結局次々”あ、あれいいな〜、欲しいな。”って思う物を見つけるので

汚くなったり使い古したって、

新しいお気に入りのモノにきっと出逢えるんです。

頭では分かってるのに、何故溜め込んでしまうのでしょう。

こんな自分が本当に謎で仕方ないです。

来年は”モノはしまいこまずに、使う!”を目標に

お気に入りのモノに囲まれた生活を送りたいと思います。

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