『幸せ』について考える。

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当ブログへのご訪問ありがとうございます。

今日7月1日はカナダの150回目の建国記念日です。

まだ150年。

私が卒業した小学校、今年で創立144年だったはずなので、そう思うと

カナダって、まだまだお若い国ですね。

それはさておき

私の父は幸せな生き方をしている人だなと思います。

父本人にしてみれば不満な事も我慢している事もあるのでしょうが

やりたい事をやり、行きたい所に行き、買いたいものを買い、

相手の気持ちも考えず言いたいことを言い、食べたいものを食べ、

周りからすると、自由奔放に幸せに生きているように見えます。

そんな父親の遺伝子を引き継いだ私も

好き勝手、自分のやりたいように生きています。

母親からすると、父と私はそっくりだそうです。

ただ、母にとって父は配偶者なので

父の自分勝手な言動に振り回されたり、イラっとしたり

溜息をつくことも、我慢をする事もあり

「もう、いい加減にして!」

と思う事もあるようですが、

私に関しては子供なので

私がどんな選択をしようとも、

その選択のせいで母が悲しい思いをしようとも

(例えば、国際結婚をしてカナダに移民とか。)

『これが、この子の幸せなら。』と思ってくれているようです。

親は子の幸せを願うとはよく聞きますが、

子も親の幸せを願っていると思います。

私は、親の幸せを願っています。

でも、自分自身が幸せでありたいとも思っているので

時には親の期待に添えない事もあります。

親の願う通りに行動すれば、親は幸せでいてくれるのかもしれませんが

私は自分の人生に対し不満ばかりを抱いたり、責めることが出てくると思います。

『親がこうしろって言ったから従ったら、こんな目に遭った!親のせいや!』

とかね。

親の期待に応えず、

自分の生きたいように自分勝手に生きている私が両親にできることは

「あの子の選択に気持ちよく賛成はできなかったけど、

こうやって幸せに暮らしてくれているならよかった。」

と思ってもらえるようにすることだと思っています。

とは言いつつも、

やっぱり心のどこかで親の思い通りの人生を歩めなかったことに対して

今でも罪悪感が若干あります。

自分にとっての幸せが、自分の大切な人にとっての幸せではない場合もある。

でも、自分の大切な人の幸せや思いを優先して自分の気持ちを抑え込むことで

自分が幸せになれなかったり、我慢したり、不満を抱くことになるは

それはそれで違う気がする。

なんか、こんなことがここ数日

頭の中でグルグル回っています。

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