そらまめの、つぶやき。

思った事、感じた事、その他もろもろ。~ただ今、英語の勉強中。~

カナダ生活を通して気付いた、平和ボケ&高望みばかりしていた自分。

カナダに移民して以来

カナダで生まれ育った人だけでなく

私と同じく移民である人とも友達になる機会に恵まれました。

 

私には難民として35年くらい前に

9歳か10歳の時にカナダに移民してきた友達がいます。

彼女と出会って以来、私は彼女からたくさんの事を学んでいます。

出会ったきっかけは、ある習い事でした。

顔を合わせるたびに段々仲良くなっていき

今では彼女は私の事を妹のようにかわいがってくれています。

この彼女なのですが、 何かの話の流れで移民のきっかけを聞くまでは

カナダで生まれ育った方だと思っていました。

 

彼女は、華やかな雰囲気の持ち主であることに加え

持ち物もハイブランド品が多いので

お金遣いが派手で贅沢な生活をしている風に見えたのですが

実際は全然違いました。

 

人を見た目で判断してはいけないと分かってはいても

やっぱり初めて会った人の事は見た目で

どんな人物なのか想像してしまいますよね。

 

彼女はどんな時でも感謝の気持ちを忘れない人で、

生き様も常にポジティブで前向きです。

 

彼女が解雇された時、

彼女はガッカリするどころか

 

「仕事はまた見つければいいだけやから大丈夫!

夫が働いてくれてるから雨風をしのぐ屋根も

毎日お腹を満たすだけの食材も買えるし、

贅沢な生活を望んでるわけじゃないから、どうにかなる!」

 

と言いました。

突然解雇されれば普通はショックを受けますし

”これからどうしよう!”

と不安になったりパニックに陥りそうなものですが

彼女はとても冷静で、前向きでした。

私は、

 

「失業保険貰いながら、ゆっくり次の仕事探せばいいしな。」

 

と言ったのですが、彼女は

 

「失業保険?そんなん貰わへんで!今すぐ仕事探す!」

 

と言い、 本当に解雇されて1週間以内に次の仕事を開始しました。

 

彼女には

『カナダで生活できているというだけで、有難き幸せ』

という思いが常にあるんです。

 

母国では相当大変な思いをしながら毎日を生き延びていたようで

その時の事を思うと、カナダでの生活は何が起ころうとも

大したことではないと思えるそうです。

 

 

つい先日彼女に会った時に

 

「なんか最近うまくいかないことが多くてさぁ…」

 

と言うと

 

「家族みんな健康で、雨風をしのぐ屋根があって

毎日ご飯を食べることができて、それだけで幸せやん!」

 

って言われました。

 

日本は平和で豊かな国なので

日本で生まれ育った人のほとんどは、

『健康で、住むところもあって食べるものがある事が幸せ。』

と常日頃から意識できている人は少ないように思います。

少なくとも私はそうでした。

 

住むところがあって、 毎日食べることができて

ありがたいことに、

生きるのに何不自由ない生活を送ってきた私にとっては

私にとってのこの当たり前の生活は

誰かにとっての『とても贅沢で憧れる生活』であることを

彼女に出会って、改めて思い知らされました。

 

カナダには

『今、この瞬間に死ぬかもしれない』

という不安と常に隣り合わせで生活していたような人々が

難民として移民している場合もあります。

 

 

私も彼らも同じ『移民』ですが、

移民してきた理由、 それまでの人生は全く違います。

カナダに住んでることをグチグチ言う私に対し、

(今はもう愚痴る事はほぼなくなりましたが。)

難民で移民してきた方々は毎日毎日、感謝の気持ちと共に生きておられます。

来る日も来る日も 命の危機にさらされながら生きた事のない 平和ボケしている私に対し、

こういう難民の方々は家族と共に、 命の危機にさらされることなく 生活できる環境にいる事が

すでにとても幸せな事なのです。

そういう風に思った事のある現代の日本人って(戦後生まれの人)

どのくらいいるのかな?ってたまに思います。

 

高望みをする事が悪い事だとは思いませんが、

あれがない、 これがない、 あれが欲しい、 これが足りないと 不平不満ばかりを言って

今与えて頂いているものに対して感謝できていないという在り方は変えていきたい、と

彼女に出会ったことをきっかけに思うようになりました。

 

 

私たちは自分で思っている以上に色んなものを与えて頂いている。

ありがたいことです。