どうでもいい話なのですが
ちょっと面白かった夫の日本語の話です。
私:おかえりなさい
夫:え?
私:おかえりなさい
夫:ただいま、なさい?
私はいつも「おかえり」っていうんです。
だから、夫は「おかえりなさい」が「おかえり」と同じ意味だと分からなかったみたいで
散々困惑した後に、
『ただいま、なさい。』
夫の下手くそすぎる日本語から癒しと笑いを頂いています。
私に大爆笑されたのが悔しかったらしく、
「日本では、『ただいま、なさい』ってずっと言われてたんやで。
これが正しい日本語やのに、知らんの?」
と逆に、正しい日本語であると説明されました。
さて、本題なのですが
私には定期的に頭に過る事があって、
それが『明日人生が終わるかも』って事なんです。
定期的にとはいっても、頻度的には一年に2~3回くらいです。
こんな風に思うようになった原因はいくつか思い当たりますが、その中でも
家族や親戚、友達を不慮の事故で亡くした事、
交通事故の目撃者になったことが2回ある事が主な原因だと思っています。
予期せぬところで、自分の目の前で人が亡くなるというのは、
私にとって相当トラウマになった出来事で
今でもたまにその時の光景が蘇る事があります。
実は、先週の土曜日に『明日人生が終わるかも』って思いました。
そしたら次の日、関西で地震が起きたというニュースが耳に入ってきました。
だから今までの時より更に
『明日人生が終わるかも』
とひしひしと感じました。
私の場合、『明日人生が終わるかも』と思った時、
今まで大切にとっておいた日本食をひたすら食べたり
買おうか迷っていたものを買ったり、
お気に入りや勿体なくて使うのが惜しかった
新品のモノをおろしまくったりします。
”明日で人生終わるかも”って事を思う事でパニックになるというよりかは
『今』を満たすことに集中し始めます。
それで、お買い物をしたんですよ。 1~2カ月に一回Amazonで本を買いますが
それは自分の興味のある事を学ぶための本なので
私の中では自己投資なんです。
でも今回は、
あってもなくてもどっちでもいいし、
というか、なくても全然困らないモノなんですけど
ここ数週間ずっと欲しいなーと思ってたところに
20%オフのお知らせメールが届いたので買っちゃいました。
こんな、あってもなくても困らないものを買ったのは久しぶりです。
『今』を満たしたい割にネットで買ったので、届くのはまだ先なため
思っている事とやっている事にズレがありますが、
でも『欲しいと思っていたものを買った』という部分が満たされたので
これはこれでいいんです。
届くまでの時間、ワクワクできますしね。
本音を言えば、すぐに買いに行けるのがベストなのですが
私のお気に入りだったお店が近くに無いのが田舎暮らしのつらいところです。
この、『明日人生が終わるかも』というモードに入った時に思うのが、
”まだまだ自分の気持ちを満たすことに全力を注げてへんなぁ。”
ということです。
今回はお買い物をしたのですが、
その時に思ったのは
『モノを増やしたくない。』
『必要なものじゃないのに買うなんてお金の無駄遣い?』
ということでした。
やみくもにモノを増やしたくはないのですが、
自分の好きなものに囲まれているというのは気持ちが満たされます。
借金をしてまで買うのは私にとってはあり得ない事ですが
買える範囲内のものなのなら、買う事をためらう理由ってなんなんやろ?って思ったんです。
好きなものを買って、それを使っている時の時間は至福の時ですし、
そういう事を考えると買うかどうか迷う事がアホらしくなってきて
ちゃっちゃと買っちゃいました。
ちなみに使った金額は$65です。
人生一度キリ、しかもいつ終わるか分からないだけに、
しなくていい我慢はしないで
自分を満たすことに全力を注いで生きていきたい、そう思います。