つい先日、
『いい・悪い』のジャッジをする事が無意味である
ということが腑に落ちる出来事がありました。
というのも、近所のおじさんが
「来月、弟の家にお呼ばれされたんだけどね。
姉も来るらしくてね。
姉って、すごく攻撃的だし
どうせまた文句ばっかり言われると思うから
行きたくないんだよね。
でも、弟には会いたいんだけど。」
とおっしゃったのです。
でも、お姉さまには長年会ってないそうなので、
その間にお姉さまの性格が丸くなった可能性もあるわけで
”どうせまた文句ばっかり言われると思う”
というのは、おじさまが過去の経験を基に
仮定している”起こるだろう”という事。
ここで、私は思ったのです!
人って、
【自分の思った通りになる=いい事】
って思っているところがないですか?
このおじさんの場合、
実際に弟さんのお家に行ったとして
お姉さまに文句ばっかり言われたとしたら、
おじさんの仮定は当たったということになりますから、
本来は”いい事”のはずなのです。
でも、実際はどうかというと
お姉さまに文句ばっかり言われたおじさまは
嫌な思いをする。
仮定が当たって、”いい事”が起こったはずなのに
おじさまは不快感を感じているという矛盾。
じゃ、お姉さまがおじさまの仮定を裏切って
おじさまのことを褒めまくったり、
今までの事を感謝したりしてきたとしたらどうでしょうか?
おじさんの仮定は外れたので
【仮定がハズレた=悪い事】
となるのでしょうが、
実際におじさんが感じるのは
”嬉しい”という感情でしょう。
でも、仮定はハズレたんですよ?
それなら残念な気持ちのはずなのに、
実際には嬉しい、幸せという感情を味わっている。
ここでも矛盾が起きるわけです。
だから、
『いい・悪い』のジャッジをする事って無意味だし
エネルギーの無駄遣いだなぁ…って思ったんです。
この一件以来、
『どっちでもいいさ~。』
と、肩の力が抜けてきて
自分が頑張りたい事、
自分でコントロールできる事以外に
エネルギーを注ぐのをやめれるようになってきました。
もうね、めっちゃ楽ちんですよ♪
自分の事じゃなくて、
おじさんのことだから
冷静に客観的に見れて
気付けたんだと思います。
気付かせてくれたおじさんに感謝☆