今年の7月から始めた瞑想なのですが、
一日も欠かすことなく
今日まで続いています。
これにはちょっと、
自分でも驚きを隠せません。
瞑想中って、
雑念が次々と浮いてきます。
瞑想って、
【無】になる事だと思っていたのですが
【気付きの瞑想】というものもあるらしく、
この【気付きの瞑想】は、
『こういう雑念が浮いてきた。』
そう、気付けたらOKらしいんです。
その雑念に【いい】【悪い】のジャッジをしたり
変に罪悪感を抱いたり
意味づけをしたり、
そういうことをやらずに
気付いて、手放す。
雑念が浮いてきた、その雑念ごと
ありのままの自分を受け入れて、手放す。
例えば、
『瞑想中だから【無】になりたいのに、雑念が次々と浮いてくる。』
そう思っている自分に瞑想中に気付いたら、
気付けただけでOKで
雑念が浮いてきたことに対して
罪悪感を抱いたりとか
『瞑想に集中できていない』と、
自己嫌悪に陥る必要はないんです。
雑念が浮いてきた自分に気付き、
そのありのままの自分を認めて、
受け入れて、
そして手放す。
おしまい。
とてもシンプルです。
昨日のこちらの記事にも少し関係するのですが。
雑念にしろ感情にしろ、
こういう
意図せず勝手に浮かんでくるものは
『こう思ったから、仕方ない。』
『こう感じたから、仕方ない。』
そうやって
浮かんできたものに気付いて
認めて、手放せば
楽に生きられると思うんですよね。
例えば、
誰かの発言に対して
怒りが湧いてきた時。
怒りが湧いてきたことは
仕方がないんですよ。
そう、自分の感情が
反射的に反応したのですから
それが自分の素直な反応で、本音。
それに対して、
『相手は、私を怒らすつもりじゃなかったかもしれないし。』
と詮索したり、
『こんなことで怒る自分は器が小さい。』
と自己嫌悪に陥り始めたりするから
物事がこじれて面倒なことになったり、
自分自身を疲れ果てさせてしまうことに
なってしまうんですよね。
意図せず湧いてくる
感情や雑念、思いに対しては
【仕方ない】って、
自分を楽にしてくれる
魔法の言葉だと思うんです。
私は元々怒りっぽい性格なので
すぐにイライラしたり
プンスカしていたのですが、
自分自身に
『怒りが湧いてきちゃったんだから、仕方ない。』
そう、声掛けをするようになってから
むやみやたらと
怒りをぶちまける事が減ってきたように思います。
怒りをぶちまけていた最大の要因って、
自分の感情を自分自身が無視していたから
自分自身への怒りだったのかもしれないなと、
今は思います。