自分で自分のお世話をできていない時ほど、
『私、こんなに頑張っているんだから認めてよ。』
『もう少し、手伝ってくれてもいいのに。』
『私ばっかり我慢してる。なのに誰も分かってくれない。』
といった
不満、怒り、欠乏感、虚しさ、寂しさに
心を占領されるように思います。
そういう時って、
自分の事より
周囲を優先しているから、
満たされない気持ちになるのは
当然と言えば、
当然のような気もしますが。
自分自身を含め、
誰一人として
出した分のエネルギー、
思いやり、時間などを埋めてくれなければ、
そのうち干からびます。
干からびると、
自分の事に目を向ける
余裕さえなくなってきて、
また、
『私、こんなに頑張っているんだから認めてよ。』
『もう少し、手伝ってくれてもいいのに。』
『私ばっかり我慢してる。なのに誰も分かってくれない。』
というループに、
ハマっていきます。
そうなってくると
更に苦しくなっていきますが、
ヘルプの求め方が分からない上に
『あの人は、人のお世話をするのが好き。』
『あの人は、何でもやってくれる。』
『あの人は、強い。』
といった印象が
周囲には定着してしまっていて
誰も助けてくれない、
という事態を招きます。
心の中で、
『誰か、助けてよ!』
そう叫んでいるけれど、
実際に叫んでいるわけではないので
誰にも気づいてもらえなくて
『誰も気付いてくれない、分かってくれない。』
と悲しくなっていくんですよね。
思っている事を
言葉にして伝えないと
周囲は分かってくれないと
頭では理解しているけれど、
助けの求め方が分からなくて
何も言えない、できない。
そしてまた
苦しみのループの深みへと
ハマっていく事となります。
これ、過去の私の事なのですが。
ここ数日、
つくづく思っているんです。
自分で自分を満たしていれば、
お世話する事ができていれば、
誰かに対して
『もっと○○してよ!』
と、思わなくなると思うんですよね。
なんなら、
ヘルプを必要としている人に
力を貸す余裕さえも出てくる。
生きていると、
周囲のヘルプを必要とする事は
当然ありますから。
ヘルプを求められた時、
欠乏感や自己犠牲を感じることなく
力になれることって
この上ない喜び、幸せだなって
思うんですよ。
自分を最優先する事と、
自分勝手って
似ているように思いがちだけれど、
別物ですよね。
なんか上手く言葉にできないけれど。
みんなが自分を最優先して
常に自分を満たしていれば、
好循環を維持できて、なんなら
その好循環を拡大していけるんじゃないかな?
欠乏感からは欠乏感の循環が、
充足感からは充足感の循環が生まれると思うから。
どちらの循環を選ぶかは、
自分次第ですけれどね。