以前にも、
条件付けに関する事を書きました。
今回は、
この時とは違った
条件付けに関する事、
しかも
厄介なバージョンだなという
条件付けについて
書いてみようと思います。
カナダに来て以来、
『英語力がもうちょっと向上したら、○○しよう(したい)。』
そう思う事が増えました。
これ、
日本にいた時には
少しも感じた事がなかった事なんです。
日本にいた時から
英会話の勉強をしていたのですが、
その時は
自分の英語力に関係なく
やりたい事をやっていました。
さほど話せないけれど、
アメリカに一人旅に行ってみたりとか。
周囲はドン引き&心配していましたが、
「あんまり話されへんけど、
そこそこ英語は読めるから大丈夫。」
と、謎の自信を携えて
半年に一回くらい
一人、アメリカへと遊びに行っていました。
幸い、事件やトラブルに巻き込まれることなく
どの一人旅もすごく楽しくて、
現地の人と触れ合ったり
他の国からの旅行者とお友達になったり、
自分で思っていた以上に収穫があり
貴重な体験をいっぱいできました。
これって、
【英語力がもうちょっと向上したら、アメリカ一人旅をしよう。】
という条件を付けることなく、
その時の自分にできる事を
精一杯やったから
得られた体験だと思うんですよね。
冒頭で、
カナダに来て以来、
『英語力がもうちょっと向上したら、○○しよう(したい)。』
そう思う事が増えました
と書いたのですが、
【英語力がもうちょっと向上したら】
という条件は、
本当に厄介だなと
今、つくづく思っているんです。
英語力を向上させたいとは思っているけれど、
何の勉強をする事もなく
気が付いたら〇〇をする機会を失っていた。
この場合
ただ後悔して苦しむだけだと思うのです。
でも、
〇〇をするために、
〇〇できる日の事を夢見て、
日々一生懸命
英語の勉強に取り組んでいたのに、
上達が間に合わなくて
〇〇をする機会を逃したという場合、
何とも言えない複雑な気持ちになるんです。
英語力の上達スピードなんて
人それぞれ違うわけですから、
本人がどれだけ一生懸命取り組んでも
こういう残念な結果になる時だってあります。
『縁がなかったのかな。』
『〇〇をする必要が、なかったって事なのかな。』
そう捉える事もできるのでしょうが、
自分が勉強に注いできた
エネルギーや時間を思うと
そんな風に簡単に割り切れるわけもなく、
かと言って後悔するような事でもなくて。
なんなら
『自分にできる事はやった。』
という満足感も少しはあったりして。
私は今、
現在進行形で
この複雑な感情を抱えています。
そんな今、思う事は、
『自分の目指すレベルには到達していないけれど、
それでも今の自分にできる事は何なのか?』
それを見つけ出して、
行動できるようになりたいな、という事。
日本で、
英会話を学んでいた時の自分みたいに。