そういえば以前、
【この世の中からお金が消えて、
特技を活かして生きていかなければいけない世の中だとしたら。】
という事を
何となく考えてみたことがあります。
【この世の中から完全にお金が消えたとしたら】
と、似ているようですが、
後者は特技を活かす必要すらない
お金のない世界なので、
ちょっと違います。
この場合、
私はどんな特技を活かすことができるのだろう?
私には、どんな特技があるのだろう?
そんな事を考えました。
その時に、
『手先が器用で、ものづくりが得意な人っていいな。羨ましいな。』
そう思ったんですね。
そして、
『残念。私はものづくりは好きだけれど、得意ではない。
何かと交換してもらえるほどの質のものは作れない。』
と、思いました。
で、気付いたんです。
『交換するものは”モノ”ではなければいけない。』
そう思い込んでいた自分がいたことに。
【聞き上手】とかも、
立派な特技じゃないですか。
でも、”モノ”ではないですよね。
特技交換をするのに
”モノ”である必要はないわけで、
目に見えない特技でもいいわけです。
そういう気付きがあって以来、
見えないものに注目できるようになったし、
大切にできるようになりました。
そしたら、
自分にも特技と言えそうなものがあるなって
思えてきたんですよね。
自覚し始めた特技は、
イヤな出来事からも
光を探し出す事。
夫やお友達からは
「名言を言うのが得意やね。」
と言われます。
でも、
自分では名言を言っているつもりはなくて、
私がなんとなく言った事が
たまたま相手に響いているだけなので、
どう活かしていいのか分からない
中途半端な感じの特技です。
ちなみに夫が大切にしている
私からの名言は、
「無理だと思ったら、戻ればいい。」
だそうです。
これは
都会から田舎に引っ越したくて、
でも腹が決まり切らずに
モヤモヤしていた夫に
私が言った言葉です。
実はこれ、
ワーホリでカナダに行こうか
ものすごく悩んでいた時に、
私が私自身にかけた言葉なんです。
戻る場所さえ確保しておけば、
安心して新しい事に挑戦できます。
なんかちょっと話がずれちゃいましたが。
特技ってそもそもは
見えないものなのかもしれないですね。
私が羨ましいと思っていた
”ものづくり”という特技。
作り出した作品は
目に見えるものですが、
ものを創り出すスキル自体は
目には見えませんから。
↑夫が作ったスプーン。
手先が器用で羨ましいです。