私の英語が下手くそすぎて
夫と思うように会話ができなくて、
イライラしながら生きていた時期があります。
元々控えめで
言いたい事が言えないタイプ、というのならともかく
私は言いたい事は
言葉にして伝えるタイプなので、
言語の壁が原因で
言いたい事が言えないというのは
苦痛でしかありませんでした。
そんな、
夫とコミュニケーションが取れてなくて
苦しんでいた時期の事を
ひょんなことから友達に話したら、
「間違える事を恥ずかしく思ったり、怖がらん方がいいで。」
そう言われたのですが、
それってちょっと違うんですよね。
間違える事を恥ずかしく思ったり
怖がっていたわけではないのですよ。
伝えたくても
語彙力がなさ過ぎて、
何も言えなかっただけなんです。
例えば、
「アンタばっかり一方的に私に言いたい放題で悔しい。」
そう、夫に伝えたくても
【悔しい】という英単語が分からなくて、
黙り込んでしまう、みたいなことが
よくありました。
つまり、
間違うレベルにも
達する事ができていなかったのです。
だから友達に、
「ちゃうで。
間違うレベルにさえも到達できていないほど
私の英語のレベルは低かったんやで。
だから間違う事を悩むって、
めちゃくちゃ贅沢な事なんやで。」
そう言うと、
友達は感慨深げにしていました。
間違った表現をできるだけの英語力が”ある”ということですからね。
会話力どころか
語彙力もないような人からしてみれば
間違える事ができるなんて
贅沢な悩みでしかないわけです。
そこそこ英語力が向上してきた今思うのは、
英語力が”ない”という時期が”あった”から
気付けた事、学べた事が
たくさんあるという事。
おかげで
俯瞰力がついたし
物事を色んな捉え方ができるようになったし、
人に優しく接する事ができるようになったと思っています。
”ある”に目を向ける事ができれば、
より彩り豊かな人生になる気がします。