私は、一人時間が大好きです。
家族やお友達との時間も大好きだし
大切にしているつもりですが、
ずっと一緒にいたいとか
頻繁に連絡を取りたいとか
そういう欲がありません。
夫の事は大好きですが、
二人とも家の中にいて
お互いそれぞれ違う事をしている、くらいが
ちょうどよかったりする時も多々あります。
こんな一人時間が好きな私に対し、
「一人でいる時間ばっかりで、孤独やね。」
そうお声がけをしてくださる方がいるけれど、
それは
その人にとっては
一人時間が多いと孤独なだけであって、
私にとっては孤独ではありません。
子供の事だってそう。
我が家は子なし夫婦です。
「子供がいなくて、寂しいやろうね。」
「結婚したのに子供がいないなんて、結婚した意味ないね。」
そんな風に言われることがあります。
子供がいなくても
私も夫も寂しいと思った事はないし、
結婚をしたら子供を作って
家族を築く事が結婚の意味とか
目的だとも思っていません。
だから勝手に
子供がいない事に同情して
気の毒に思われたりとか、
「子供作った方がいいよ!」
って説得されたりとか、
その人の価値観を押し付けられたり、
大きなお世話だなって思ってしまいます。
【大きなお世話】という表現は
ちょっとキツイ気もするけれど、
こういう経験を何度もすると
どうしても
『余計なお世話です。』
そう、思ってしまいます。
以前はいちいち反論していたんですよ。
「一人時間が好きなので、一人でも寂しくありません。」
「子供がいなくても、さみしくありません。」
とか。
反論していたのって、
『こういう価値観を持っている私を認めて欲しい。』
そういう
承認欲求が少なからず
あったのからのかもしれません。
『私が満足しているのだから、それでいい。』
そう思う事が増えるようになって以来、
スルー力がついてきたのか
こういう系の会話は
適当にスルーする事が多くなりました。
そうすると面白い事に、
価値観を押し付けてくる人が
減ってきているんですよね。
価値観を押し付ける人もまた
『こういう価値観を持っている私を認めて欲しい。』
という承認欲求があるのかもしれないから、
承認欲求を満たしたいもの同士の波動で
引きあっていたのでしょうか。
とは言え、
相手によっては
きちんと耳を傾けることも
必要だと思っています。
価値観の押し付けではなくて
私にとって必要な
アドバイスである場合だってあるから。
自分自身である程度
承認欲求を満たして、
そこそこスルー力がある在り方が
今の私にとって心地のいい
楽ちんな生き方だなーって
ふと思いました。