昨日の続きです。
『両親から認められたい。』
という承認欲求が強い夫に対し、
私には、その欲求が全くと言っていいほどありません。
その理由はおそらく、
両親が私に望んでいた事と
私がやりたい事がほぼ真逆だったから。
両親に認められる=両親の願望通りに生きる事。
そう、思っていたところがあったから、
『自分の好きなように生きるために、両親から認めてもらう事は諦めよう。』
って、知らぬ間に思うようになっていたのかもしれません。
子供の頃から
そんな感じで生きていたから、
段々と
【期待に応えること=自分のやりたくない事をやる事】
と思い込み始めてしまったために
【期待に応えたい】という願望が
私にはほとんどないのかもしれません。
だけど、
『期待に応えるだけではつまらないから
期待を越えて相手を驚かせて、喜ばせたい。』
という願望はあるのですよね。
だから、
期待に応えることが嫌なわけではないんです。
相手の望む事と
自分のやりたい事が
一致していれば、
すごく頑張るタイプです。
そして、
承認欲求もあります。
自分から認められたい、という承認欲求が
エグイほどあります。
人様から褒めて頂いたり、
認めて頂く事も嬉しいけれど、
自分が満足できない場合は
不満だらけだし、
生命力が一気に低下したりもします。
5~6年前の
生きる屍期がまさにそうで、
どれだけ周囲が
「海外で暮らしていてすごい。」
「英語が話せてすごい。」
「英語で仕事をしているなんて、尊敬する。」
とか褒めてくれたり、讃えてくれても、
私が自分の英語力に満足していなかったし
海外生活を楽しめていなかったから、
毎日毎日不足感と自己嫌悪との戦いで
生きているだけで必死でした。
人様との関わりは大切だと思っているし、好きだけれど、
裏切られてしまったり
急にいなくなってしまう(亡くなってしまう)事が怖くて
こんな風に独りよがりになっちゃったのかなって思います。
誰かに頼ってばかりいると、
その人が急にいなくなってしまった時に
路頭に迷ってしまうだろうから、
それが怖くて
最初から自分だけに頼ったり
人に相談することなく
自分で決めたり解決する事を
選んでいるんですね、無意識レベルで。
自分の事はコントロールできますから、
自分だけは自分の事を裏切らない、という現実を
いつでも創造できますから。
こんな独りよがりな自分に対して
呆れ果てている自分自身もいるのですが、
よく頑張っているなって褒めたたえている自分自身もいて、
結局は自分に甘く
自分に寄り添う事だけは
昔から得意だなーって改めて思います。