今年は、
【平等】について考えさせられることが頻発しています。
私のブログの下書き記事にも
平等がテーマになったものがたくさん溜まっています。
平等について、あれこれ思いついたり
気付いたり、考えたりしているから
言語化してみたくて
ブログの記事にしてみようと試みたものの、
言葉でまとめられずにいます。
私は元々平等にこだわるタイプで、
大袈裟な表現ですが
”いかに平等であるか?”が
私の人生のテーマでもある気がしているくらいです。
ちょっと面白いのが、
平等とか公平という事に
全然関心がなさそうだった夫や義母が、
今、【平等である事】を意識して
行動をし始めている事。
義母の行動に至っては
奇行とも呼べるものが発生してきています。
例えば、
義弟にイヤホンを買ってあげたから
夫にもイヤホンを送り付けてきたりとか。
昨日は、コーヒー豆が届きました。
義母が誰かにコーヒー豆を買ってあげたのでしょうか。
私は国際結婚をし、
夫の母国で夫の母国語で生活をしているからか
『不平等や!』
そう、たくさん感じながら
この十数年生きてきました。
その度に、
『不平等でも仕方がない。
それを承知の上で国際結婚も移民も決めたのは自分なんやから。』
と言い聞かせてきて、
今は国際結婚にも海外生活にも
不平等だと感じる事はなくなってきました。
夫にしても義母にしてもそうなのですが、
今は周りの人たちが
私に対して平等であろうと取り組み中で、
そんな周りの姿に
なんともいえない気持ちになっています。
嬉しいはずなのですが、
なんか違和感しか感じないというか。
夫が欲しいものを手に入れることを優先して
何年も生きていたのですが、
ここ数年は
自分が欲しいものも
ちゃんと買うようにしたりとか、
夫の好物ばかりではなく
自分が食べたいものを優先して献立を考えたりだとか、
自分自身が
自分に対して平等であることを意識しながら
生きているので、
『そんなに私に対して平等であることを意識しなくてもいいのに。』
って、周囲に対して思うのかもしれません。
イヤホンやコーヒー豆を我が家に送ってくれた義母。
失礼な言い方かもしれませんが、
これは義母の自己満足でしかないと思います。
コーヒー豆は嬉しいしありがたいですが、
イヤホンに関しては
夫も私も愛用しているイヤホンがすでにあるので、
頂いても困ってしまうものですから。
【平等】に対する考え方、捉え方はひとそれぞれ。
難しいテーマだなって改めて思います。