そらまめの、つぶやき。

思った事、感じた事、その他もろもろ。~ただ今、英語の勉強中。~

【埋めたくなる習性】固定観念を変えたら、時短できた時間が活きてきた。

ずっと不思議だと思っている事があります。

それは
文明の利器が増えても、発達しても、
人はずっと忙しそうにしているという事です。

私自身も時短に励んでいた時があります。

ゆっくりするための時間を捻出するために
時短に勤しんでいたはずなのに、
現実は真逆で
なぜかもっと忙しくなっていた気がします。

それって、
私の固定観念×習性の仕業だったのだなって
つい数日前に思いました。

人は、空白があると
埋めたくなるという習性があるそうです。

私の場合、
空白を埋めるのならば
生産性のある事、
何か自分の学びになる事、
そういった事で埋めなければいけない、という
固定観念がありました。

ゆっくりする時間を捻出するための時短だったはずなのに。
ゆっくりする=無駄な時間
ゆっくりする=生産性のない事
そう思っていたから、
時短に勤しみ時間の余裕ができても
ゆっくりするどころか、
普段はあまり掃除しない箇所を掃除する時間に充てたり
英語の勉強をしたり、運動をしたり、
私にとって”生産性のある事”をやって
捻出した時間を埋めていました。

そりゃ、疲れるはずです。
いつもより多くの事をやるようになってしまっているのに
ゆっくりする時間は全然取れていないのですから。


ここ最近、特にこの数か月は
休むことを重視していて、
TO DOリストを作る時には
”休息”もやる事の一つとして
リストアップするようにしています。

時間が余ったら休む、という固定観念を壊して
休むことは必要な事。
休むことで効率よく物事に取り組めるから、
時間を作ってでも休む事。
そういう風に捉えるようにしています。

だから今の私にとっては
休むこと、ゆっくりすることは生産性のある事。

そういう経緯があったからなのか、
ここ最近使い始めた食洗器で時短できている分の時間を
ゆっくりする事のために使えている事に気付きました。

ようやく文明を使う事による恩恵を
上手く使えるようになってきたようです。