私は飽き性だ、と
このブログで何度も書いているのですが、
私が【飽きた】と表現する時は
自分が苦手な事から逃げている時だというのが
先日お友達と話している時に発覚しました。
私が逃げている事。
それは、人付合いです。
でもこれも深堀してみると、
人付合いから逃げているわけではなくて
誰かと何かに取り組む、ということが
非常に非常に非常に苦手で
団体で何かに取り組むことから逃げています。
私対誰かの一対一ならいいのですが
何かのグループとかコミュニティに所属するのが
実はすごく苦痛でしんどいと感じる事なのだと、
つい数日前にようやく気付きました。
こういう時に私は、
「このコミュニティ、飽きた。」
と表現していたのですが、
飽きたのではなくてイヤ、不快、面白くない。
そういうことなんですよ。
『人様のペースに合わせるのが無理。』
『私のペースに合わせてもらうのが申し訳ない。』
『意見が違いすぎる人が多くて、一緒にいるだけでしんどい。』
『言い訳する人が多すぎて、話聞いているのが疲れる。』
そう感じ始めたら、
『無理して所属する必要ないし。』
そう思って、
サッと消え去ります。
そもそも、
グループとかコミュニティに所属すること自体が
ほとんどないんですけどね。
お友達のお誘いで
『面白そう!』
そう思って、入ってみたりした事があったのですが
無理でした。
ちなみに
”飽きた”と表現するけれど
苦手なわけではない場合は、
『十分やり切って達成感を感じたから別の事をやりたい。』
『なんかしっくりこないから、違う方法で試してみよう。』
そんな風に感じている時で、
この時にはイヤ、不快、面白くないという感情はありません。
感情って頼りになる指針だなって
改めて思います。